みんなのことば

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   「生きること」       高槻バプテスト教会 田中弘子姉妹

今までも証をしたことと重なる部分があると思いますが、
今一度、新たに思うこと、感じることをお話したいと思います。

先日、会堂建設感謝礼拝の時に、母(谷)の古い家庭クリスマスの写真を見せて頂き、
子供の頃を懐かしく思い出していました。
子供の頃は母より、「神様は何時も見ておられる。」 と聞かされていましたから、
当然のように信じていました。 時には悪いことは出来ないと怖くなったりしたものです。
もちろん罪の事や信仰のことは分からず、ただ神様が見ておられるから
悪いことをしてはいけないと思っていました。

近くの教会の日曜学校に喜んで行ったり、子ども賛美歌や賛美歌354番は
良く家族で歌っていましたので、自然に谷家の歌になりました。
中学に入った頃に両親が当時は芥川商店街の奥の方にあった、
福音教会に行きだしましたので、日曜ごとに家族で出かけた楽しい思い出があります。
教会の帰りにパンを買い、お昼を家族で食べる、そんなささやかなことが当時の楽しみでした。
教会では礼拝と青年会、聖歌隊と色々な活動が楽しく、教会に行くことが楽しかったのです。
高校2年生の頃でしたが、教会の長老に勧められ、バプテスマを受けたいと母に申し出た時、
母に信仰の厳しさや生きることの本当の意味が分かっているのかと問われ、
信仰的な難しさを何も分からずまま、教会に長く通っていて知識的にキリスト教を
観ているだけだと考えさせられ、断念しました。

その後、社会人になり、次第に教会から離れてしまい、
親が心配して反対した結婚後の夫の実家での生活は、この世的な苦しいものでした。
子供の与えられないことや、育った環境の違い等の苦しみの中で、
カサカサとした生活を送っていました。 
その頃に、それまでは普通の住宅で礼拝を持っていた高槻バプテスト教会が
今の氷室に移っていました。 日々のカサカサした生活の中で、教会に帰りたい、
神様に赦しを乞いたいと思うようになり、母にも大変な思いをさせ、山中で田舎の生活から
長い放浪の末、やっと教会に行けるようになりました。

自宅は平屋の小さな家で、教会までは徒歩30分ほどの所に引っ越しました。
当日は雨がしとしと降り、夫とただ2人で軽トラックに少しの家具を積み出てきた時は
淋しく悲しかったのを覚えていますが、引っ越せば教会に行ける希望がありました。
礼拝に出席できるのが本当に嬉しくて、仕事仲間に顔付きが変わり明るくなったと言われ、
教会に行っていること、日曜日は付き合うことが出来ないと言ったりしていました。

そして、バプテスマを考えだした頃に、仕事中倒れ、内科に入院しました。
倒れた時に、後頭部を強く打ったのですが、もともと頭部骨欠損があった為、
視野狭窄になり、そのまま脳外科で後頭部の骨欠損部を人工骨で覆う手術を
受けることになりました。 手術当日の朝、姉夫妻が病室で聖書を読み祈ってくれました。
その箇所が、詩編23編でした。 神様が居て下さる、共に戦って下さると確信を得て、
不安は消え、身体が温かくなったのを覚えています。 
子供の頃、何も分からないまま神様は見ていて下さると信じていたように信じ、
この私のために十字架にかかって下さったことが分かり、
以前、諭された母の言葉が少し理解できたのです。
退院後、本当の罪のことも分からせて頂き、澤野先生よりパプテスマを受けた時の
母の涙は忘れることが出来ません。 
その後、夫の入院と母の入院が重なったり、母の長い入院生活にも健康を支えられました。

そしてその母が召され、今度は私に再び棘が与えられました。
仕事中に倒れ、全身麻痺のようになり、全身が痛み動くことが出来なくなってしまったのです。
亡き父のことが思い出され、ただただ神様にすがりました。
父は、頚椎の神経が全て切断され、全身麻痺になり、
指を動かすことも出来なくなっていましたが、ただ意識ははっきりしていました。
その中で全てを神様に任せ、祈りを忘れず一言も愚痴を言いませんでした。
そんな強い信仰を見せられていたのを思い出したのです。

私は動けないけれど、神経は切断されませんでしたので、
適切な治療を受け身体の痛みも徐々に回復しました。
今は手と足に痺れが残っていますが、主治医の励ましと皆様の祈りに支えられ
立つことが出来ました。 その後、ストレスの為か肝臓を悪くしたために内科病棟に移り、
長い入院生活後、体力の回復を待ち、再度入院して頚椎に人工骨を埋める手術を受けました。
その後も狭心症の為、入退院を繰り返しています。 病院の仲間には 「良く生きてるね」 と
感心されるほどですが、いつも神様は生かせて下さいました。
今の私は生かされています。

今は、手術の後のリハビリのおかげで、教会に来ることが許されています。
出来ないことが多くあり、歯がゆく思えることがいろいろとあります。
私に与えられている時間は後どれほどか分かりませんが、
出来るだけ礼拝に出席したいと思います。
今の私に出来ることを頑張ろうと思います。
  いのちを預けられていることを感謝しています。
主が共に歩いて下さり、見つめて下さる暖かいまなざしを感謝します。
頑固な私を神様は人生の苦しみの中で、
生きる本当の意味を分からせて下さったと感謝しています。

この先もいろんなことが起こると思いますが、
どんな状況でも神様が私を見つめて下さっていることを忘れずにいたいと思います。
いのちを預けられていることは支えられていることですものね。
目の見えにくいのは、後頭部の手術の際、脳血管の一部を縛っていたので、
視神経に栄養が行かなくなっているため、視力が少しずつ衰えているのです。
耳も過去の治療で使用した薬の後遺症のため、聞こえにくいこともあり、
足元も不安定ですが、幸いなことに動くことが出来、
行きたい所に制限はあっても、行くことが出来るのです。
まず教会に来ることですが、夫が協力してくれるのを感謝しています。
いつか夫が信仰を持ってくれ、共に礼拝に出てくれることを望んでいます。
神様がきっと導いて下さると信じて待っています。

長くなってしまい、申し訳ありません。
話があっちこっちと飛びましたが、最後に皆様にお願いします。
身体のことを簡単に考えないで、少しでもおかしい、変だと思ったら、病院に行って下さい。
私の狭心症は無痛性でしたので、気がつくのが遅くなってしまいました。
母は手術を受けるしか治療法が無かったのですが、私は切らずに済んでいます。
早期発見が大事ですから、怖がらずに病院に行って医師に相談してください。
単なる肩こりが怖い病かも知れないのですから。 よろしくお願いします。

最後にお祈りをさせて頂きます。
神様ありがとうございます。 どうぞ皆様の健康を祝して下さい。
このような小さな者に話す機会を与えて下さり、感謝します。
どうぞお1人お1人をあなたの愛で包んで下さいますように。
主イエス・キリストの御名において、お祈りします。

アーメン。


旧約聖書23編

主は私の牧者であって、私は乏しい事はない
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの汀に伴われる
主は私の魂を生き返らせ 御名の為に渡しを正しい道に導かれる
たとい私は死の影の谷を歩むとも 災いを恐れません
あなたが私と共におられるからです
あなたの鞭と杖は私を生きさせます
あなたは私の敵の前に宴をもうけ 私の頭に油を注がれる
私の生きている限りは恵みと慈しみが伴うでしょう
私はとこしえに主の宮に住むでしょう





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